古閑美保コラム 「復活優勝の渋野日向子。プレーオフの優勝は運が必要です」

こんにちは、古閑美保です。私のゴルフに対する考えやゴルフ界に言いたいこと、女性ゴルファー向けの話しなど、歯に衣着せず、感じたことをお伝えしていきたいと思います。今回は1年11カ月ぶりに優勝を遂げた渋野日向子の話題を中心にお話しします。

古閑美保プロ/写真提供 Zone.inc

私は7ホールに及ぶプレーオフをチップインで勝った経験がある

国内女子ツアーのスタンレーレディスで渋野日向子が、1年11カ月ぶりに優勝しました。
渋野のほか、木村彩子、ペ・ソンウ、そしてアマチュアの佐藤心結という4選手が首位に並ぶ大混戦。4人によるプレーオフは、誰が勝ってもおかしくない状況でしたが、この日、一番運を持っていたのが、渋野ということだと思います。

私は現役時代、6回プレーオフを経験しています。結果は3勝3敗です。師匠の清元(登子)先生からは「プレーオフは運だから。力の差があったり、一生懸命準備しても、どっちが勝つか分からない。もし負けた場合はプレーオフのプレーを悔やむのではなく、正規のラウンドで1打伸ばせなかったことを悔やみなさい」といわれていました。実際、プレーオフを経験して、私もそう思うようになりました。

私のプレーオフの思い出の一つが2006年のスタンレーレディスです。姉弟子の大山(志保)さんと7ホールもやりました。プレーオフ7ホールは、ツアー最長タイの記録で1時間29分の激闘でした。当時は7月に開催されていて、夏場に18ホール回ったあと、さらに7ホール。しかも優勝争いは集中力を高めているのでいつも以上に疲れます。終わったときには腰砕け状態だったのは覚えています。

2006年は大山さんが賞金女王になった年です。いつも一緒に練習していましたし、一番かわいがってもらった先輩。やりにくさはありましたけど、そこはお互い勝負と思って戦っていました。当時18番の407ヤードのパー4を使いましたが、最初はお互いパーオンをしてバーディパットを入れるかどうかの争いです。しかし、決められずにパーが続き、4ホール、5ホールと進むうちに2打目でグリーンをとらえられなくなっていました。さすがに疲れてますよね。そして7ホール目、グリーンの左奥に外した大山さん、私は右手前に外しました。私が先に打ったのですが、それがカップに吸い込まれました。劇的なチップインでした。勝った嬉しさもありましたが、やっと帰れる、というのが正直な感想でしたね(笑)。

もちろんチップインするという技術ではありますが、その前にお互い何度もバーディチャンスはあって決められていません。それがチップインという劇的な幕切れですから、やっぱり運の要素が強いと思います。プレーオフでは3回負けていますが、私より運が上回った人が勝ったというだけで、そのプレーに悔いはありません。

私は向上心がないからスイング改造したことありません

渋野が優勝したというのは、運だけでなく正規のラウンドで首位に追いついたという力のあることが大前提です。勝つっていうことはすごくうれしいし、自信にもなるから、特に渋野みたいなタイプは。これからも女子ゴルフ界をにぎわせてくれると思います。

また、今年から大幅にスイングを変えたことが多くのメディアで、さまざまな意見で取り上げられていました。もちろん結果を出したわけですから、やっていたことは間違いではないと思います。ただ、どちらかというとクラブが下から入ってくるので、アメリカにいったときにどうなるのだろうというのは気になります。

もともとパターはうまいし、ドライバーはティアップをしているので関係ありませんが、地面から打つショットの場合、芝質の違いや左足下がりなどの傾斜地が難しくなるように感じます。もちろん本人が一番分かっていることだと思いますが、これからさらにレベルアップを考えているでしょうね。

ちなみに、私は現役時代、スイング改造なんてしたことはありませんでした。もちろん細かい部分では変えていたことはありましたが、根本的にはやっていません。向上心もありませんでしたし、どんな球でもいいからバーディを取ることを一番に考えていました。自分のスイングの再現性を高めるために、ボールを打って形を固めました。そうすれば自然と精度が上がってきて、バーディパットを打てる距離が短くなりますからね。

私は球数が成績だと思っていました。不動(裕理)さんや申ジエもそうですが、毎回同じスイングができれば、ショットは安定してくる、と思ってやっていました。おかげさまで当時は、かなりいい精度を保っていたと自負しています。

こが・みほ/1982年7月30日生まれ、熊本県出身。身長167センチ、2001年プロ転向。03年にヨネックスレディスでツアー初優勝を遂げるなど、年間2勝を挙げて賞金ランキング3位。08年には年間4勝を挙げて、賞金女王戴冠。29歳になった11年、シード権保持していたがツアー引退。ツアー通算12勝。21年からGMOインターネットグループのアンバサダーに就任

取材・文/小高拓

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