資格は不要。でもどうやってなるの?伊能恵子さんに聞いてみた【プロゴルファーを裏で支えるツアーキャディのお仕事】

もし、就職や転職を考えた際、「ツアーキャディ」という選択肢があったなら…?ゴルフ好きなら一度は考えたことがあるその「もし」を選択した伊能恵子さんに聞いてみました。

◆「プロアスリート同じ舞台に立つ。それができる職業がツアーキャディ」

「短期間で学費を稼ぐなら、コースキャディの仕事がいいよ」 

 父のそのひと言がきっかけで、コースに就職したのが18歳のとき。自分がプレーすることは少しも考えませんでした。ところが、コース所属のプロたちが「お父さんがゴルフ好きなら、一緒にプレーするのは何より親孝行になるよ」と。その言葉がきっかけとなり、始めてみたら、ハマってしまった(笑)。

 給料のほぼすべてを注ぎ込んで、ゴルフ漬けの日々がスタート。20代は「プロになる!」、それが生活のすべてでしたね。でも…、30歳直前に気づいたんです。“プロ資格”までは取れても、“ツアーで戦えるプロ”にはなれないな、って。試合で活躍する選手たちは、プロになれるかなれないか。こんな場所でウロウロしていないですから…。

 そんなとき、紹介されたのが小山内護さん(※日本ツアー通算4勝)でした。試しに3試合ほど担いだら、「キャディとして最低限のスキルはあるし、1年間、帯同で担いでみない?」と声を掛けていただいて。私のツアーキャディ人生は、そこから始まりました。

 正直、バッグは重いし(20㎏超!)、移動は多いし、プライベートの時間はないし、キャディとしてのスキルは全然ないし。“お腹痛いって休もうかな”なんて、何千回と考えたし、辞めたいと何度思ったことか(苦笑)。それでもずっと踏ん張ってこれたのは、やっぱり優勝の瞬間を知っているから。ベンチやコーチ席ではなく、選手が戦うフィールドに一緒に立てるスポーツって、ゴルフくらいだと思いませんか? それを知っているから、ツラくても辞められない。それともうひとつ。誰かに必要とされる幸せですよね。

「お前と一緒に勝ててよかった」。そのひと言がまた奮い立たせてくれるんです。

<これまで担いだプロ>小山内護 平塚哲二 宮本勝昌 池田勇太 古閑美保 片岡大育etc.

◆伊能さんのツアーキャディHISTORY

中学・高校時代…ポジションはライトでピッチャー。朝から晩まで部活に明け暮れ、国体、インターハイにも出場。だが卒業時には燃え尽き症候群に。

18〜22歳…専門学校の費用稼ぎにゴルフ場のハウスキャディに就職。当時はバブルで、1万円のチップも当たり前の時代だった。

23歳プロゴルファーになることを決意。団体競技のソフトボールに比べ、“全ては自分の責任”というゴルフ。個人競技の魅力もハマった理由だった。

20代…研修会に参加し、プロテスト受験資格を得ようと奮闘する日々。給料は月10万円前後。

2002年…プロゴルファーになる夢を断念。ツアーキャディの道へ。立場は違うが、トーナメントの緊張感や雰囲気をダイレクトに感じられたことも決め手に。

〜2010年まで…念願の初優勝は2003年、「女性キャディとは初めて」という宮本勝昌のバッグを担いだ「新潟オープン」で。

2011年〜15年まで…突発性難聴をわずらい、ツアーから一時離れる。将来的なことも考え、ゴルフ以外の道でも食べていけるよう資格取得にも励む。

2016年…片岡大育と出会う。「帯同をお願いできませんか」と直接依頼され、「彼が最後」と決意しツアーに復帰。3年間で2勝に貢献した。

2018年…ツアーキャディとしては、第一線から退くことを決意。3年間の専属期間の最後の2年はマネージャーも兼務。多忙な日々を送る中で、別の形で選手をサポートできないか考えるようになる。

現在…選手サポートを含め、多方面でゴルフと関わる。年に数回スポットで担ぎながら、ゴルフの素晴らしさを幅広く伝えようと会社を設立。新たなキャリアをスタートさせたばかり。

◆教えてくれたのは…

伊能恵子さん…いのう・けいこ/千葉県出身。2002年よりツアーキャディとして、男女ツアーでも活躍。リンパセラピスト、フィジカルトレーナーとしての顔も持つ。現在は長年バッグを担いだ片岡大育の現場マネージャーを務める。通算10勝

撮影/兼下昌典、Getty Images エディター/一寸木芳枝